今では車いすで生活する私だが、元々は健康な身体に生まれた。そして——自分で言うのは少し恥ずかしいが——努力家でもあった。
子どもの頃から、頑張り屋だと言われて育った。いや、そうならざるを得なかった、というほうが正確かもしれない。母は仕事が好きな人で、家にはほとんどいなかった。私の子ども時代は、母の帰りを待ちながら家事をこなす時間でできていた。家でダラダラ過ごしていると、いつも怒られた。将来こうなってほしい、という期待も、先回りして用意されていた。だから私は、休まず、期待された通りに頑張る子どもになった。
頑張ればどうにかなる。その積み重ねが、私の自信になっていった。「私ならできるはずだ」。それは強がりではなく、実績に裏打ちされた、本物の自負だった。
だからこの文章は、健康や努力を否定するために書くのではない。むしろ私は、そのどちらにも、多くを助けられてきた人間だ。
ただ、それでも言いたいことがある。健康であることはいいことだ。努力することもいいことだ。でも、その物差しからはこぼれ落ちるものがある。そして私は、そのこぼれ落ちる側に自分が回ることを、まったく想像していなかった。
努力が通用しなくなった
16歳で頸髄を損傷してから、私の身体は、それまでの私の身体ではなくなった。
いちばん堪えたのは、努力が通用しない領域があると知ったことだ。起立性低血圧のせいで低い血圧は、どれだけ気合を入れても上がらない。以前のコラムにも書いたが、朝起き上がれないのも、メールの返信が億劫なのも、本の内容が頭に入らないのも、ぜんぶ努力不足のように感じられた。でも、いくら頑張っても、変わらなかった。あとになって、それは人格の問題ではなく自律神経の問題だと知るのだが、当時の私はそんなこと、知る由もなかった。
それでも私は頑張り続けた。頑張れば克服できると、ずっとそう生きてきたからだ。その結果が、二度の腸閉塞と、胃潰瘍。努力が効かない相手に努力を重ね、自分を責め続けた心の負荷が、いちばん弱いところに出たのだと思う。身体のほうが先に悲鳴を上げた。
自分で自分を痛めつけていた
いま思えば、いちばん私を苦しめていたのは、身体そのものよりも、私の中に棲み着いた物差しのほうだった。
昔の自分はもっとできたのに。みんなちゃんと働けているのに。日々頑張っているスタッフや利用者さんたちに、合わせる顔がない。情けない。なんて怠け者なんだろう。
これは、外の誰かに言われた言葉ではない。全部、私が私に向けて言っていた言葉だ。健康と努力を美徳とする物差しを、私は誰よりも深く信じていた。だからその物差しが、そのまま自分を裁く刃になった。
皮肉なものだ。努力を信じて生きてきた人間ほど、努力が通用しない場所に立たされたとき、逃げ場がなくなる。「頑張れば報われる」という信念は、報われなかったとき、「頑張りが足りなかったお前が悪い」という呪いに、あっけなく裏返る。
この物差しはいつか全員を取りこぼす
健康を美徳とする社会では、健康でいられない人は存在そのものが減点から始まり、努力を美徳とする社会では、努力が実らない人は怠け者にされる。でも、健康も、努力の成果も、その多くは本人にはどうにもならない領域にある。生まれ、事故、運。努力では越えられない壁は、確かにある。
そして残酷なのは、この物差しが、いつか必ず全員を取りこぼすことだ。どんなに健康な人も、歳をとれば衰える。努力が通用しない日は、誰にでも来る。
だとしたら、こう考えられないだろうか。以前の記事で「養生は技術だ」と書いた、自分の身体と交渉し、限りある力をどこに賭けるか見極める技術は、実は障害者だけのものではない。健康な人も、いつか必ず、衰えていく自分の身体と付き合う日が来る。そのとき頼りになるのは、若い頃の健康ではなく、身体とうまく折り合う術のほうだ。
健康という結果は運が大きい。でも、身体と付き合う技術は誰もが磨ける。前者を美徳とすれば脱落者が出る。後者を美徳とすれば、こぼれ落ちる人は、ずっと減る。
努力の使いどころを見極める
誤解しないでほしいのだけれど、私は「努力なんて無駄だ」と言いたいのではない。努力は、今も私を支えている。私が身につけたのは、努力を捨てることではなく、努力の使いどころを見極めることだった。
たとえば夏。汗をかけない私の身体は、自分では体温を下げられない。だから気合で乗り切ろうとはせず、勝てない相手とは戦わず、勝てる日に体力を残す。前の記事で、私はこれを「新しい負けの美学」と呼んだ。負けを認めることと、戦うのをやめることは、別の話だ。
同じことが、仕事にも言える。
かつての私は、何でも自分でやろうとした。自分でやったほうが早いし、いいものができる。悪いくせだ。でも、身体が動かないぶん、私にはもう、全部を自分の手でやる体力がない。だから私は、プレイヤーであることを少しずつ手放した。
完璧主義をゆるめる。他者を信じて任せてみる。これが、努力人間にはなかなか難しい。任せた仕事が思うようにいかないと、つい手を出したくなる。白状すると、いまだに手を出してしまう。ただ、そこをこらえて委ねることは、自分でやるよりずっと高度な技術らしい――と、最近ようやく気づいたところだ。まだまだ、練習中である。
そして、手放すことには、思いがけない効能があった。できることが限られてくると、否応なく問われるのだ。他の誰でもなく、私にしかできないことは、一体何だろう、と。制約は、私から多くを奪った。けれど同時に、自分の核がどこにあるのかを、これまでよりずっと深く考えさせてくれた。手放すことは、諦めることではない。手放して初めて見えてくる、自分の本当の持ち場がある。
こぼれ落ちた場所から
健康な身体に生まれ、努力で結果を出してきた私が、その両方を失って、ようやくたどり着いた場所がここだ。称えるべきは、健康という結果でも、努力の量でもない。限りある自分を、どこにどう使うか見極める、その技術のほうではないか。
それが美徳とされる世の中だったら。健康でも、そうでなくても、努力が実った人も、実らなかった人も、もう少し、みんな生きやすいのに。
いまの私は、健康ではない。努力しても届かないことも山ほどある。でも、こぼれ落ちた場所から見える景色を、私はもう恥じないことにした。ここは物差しの外だ。そして物差しの外にも確かに地面はある。その地面に立って、まだ言えることがある。


