16年前、豆塚エリが自宅マンションから飛び降りたその年、私は同じ高校の、同じクラスにいた。
私のクラスには彼女以外にも急にいなくなった人がいて、ドロップアウトは珍しくなかったし、理由を探るのは行儀が悪いと勝手に思っていた。結局、豆塚エリがどうなったのか知らないまま、空席の目立つ教室で高校2年生を終えた。
彼女が飛び降り自殺を図ったこと、頸椎を損傷して車椅子で生活していることを知ったのは、3年生に進級した後、豆塚エリ本人から「文化祭を見に行く」というメールが届いたときだった。その後もゆるやかに交流を続けてはいたが、あの日、追い詰められた彼女の身に何があったのか、それからどうやって今に至るのかは、ずっと聞けないままだった。
2022年、彼女が自身の半生を綴った「しにたい気持ちが消えるまで」が発刊された。比較的早い段階で購入はしたのだが、実はなかなか読めずにいた。当時の彼女を知ることで、同じクラスにいながら彼女の苦しみに手を差し伸べられなかった自分の”無関心”という罪を、自覚するのが怖かった。
今年、紆余曲折あって彼女が率いる「非営利活動法人こんぺいとう企画」に関わることになった。そしてこの「Arica」というメディアサイトが立ち上がった。今こそ「しにたい気持ちが消えるまで」を読まなければならないと感じ、やっとの思いで読み終えた。
今回は、私たちの学生生活を思い返しつつ、「しにたい気持ちが消えるまで」および「Arica」を通して、豆塚エリと一緒にこれから何を成していきたいかを綴ってみようと思う。
豆塚エリとの出会いと、当時のことを思い返してみる
豆塚エリの存在を知ったのは高校1年生の文化祭だ。メイド服に身を包み、アニソンを歌って踊る彼女の姿を見て「これは仲良くなれない」と思ったことを今でもよく覚えている(のちに本人から「あれはノリでやらざるを得なくなったやつだから!」と全力で弁明されたことを含めて、今では笑い話である)。
「お祭り好きの陽キャ」という第一印象は、2年生に進級して同じクラスになったことで崩れ去り、それと引き換えにクラスカースト下位の仲間として、それなりの連帯感を得た。当時の私たちのクラス内での位置づけを象徴する出来事としてクラスマッチ(地域によっては「球技大会」と呼ぶだろうか)がある。詳しくは豆塚エリの小説「ネイルエナメル」を参照されたい。
私自身は、決して裕福ではないものの衣食住の不自由や大きなトラブル等はなく、教室の隅でやや落ちこぼれつつも部活動のために学校に通う、ごく平凡な生徒だったと思う。
彼女の家庭については、お母さんが韓国人だということを知っている程度で(「どうして名前がカタカナなの?」「お母さんが韓国人だからだよ」というやり取りをした記憶がある)、その向こうの複雑な事情については何も知らなかった。
オーストラリアへの修学旅行に経済的な理由で参加できないと聞いたときに、台所事情が厳しいのだろうな、ということはぼんやり察したのだが、根掘り葉掘り聞くのは憚られた。よその家にはよその事情があるのだから首を突っ込んではいけない、という気持ちがあった。
とはいえ、急にいなくなるとも思っていなかったのだ。冒頭のとおり、突然いなくなったクラスメイトは他にもいたが、まさか彼女がそうなるとは思いもしなかった。私自身があまり他人と深く関わるタイプではなかったために、恥ずかしながら彼女の身に起こったことを誰かに尋ねることもせず、本人からの連絡で事の次第を知って驚愕した。昨日まで当たり前に同じ教室で机に向かっていた人が、極端な選択をして突然いなくなってしまうことがあるのだと、その時初めて知った。プライベートな部分の相談に乗れるような、彼女の「予兆」に気づけるほどの距離感でもなかったものの、何もできなかった、何もしなかった自分の”無関心”を思い知らされた出来事だった。
当時の自分に、できることはあったのか?
今でも、当時の自分に何かできることがあったのか?とどうしても考えてしまう。何度も同じことを自問したが、結論はいつも同じで、おそらく自分にできることはほとんどなかっただろうと思う。
いちクラスメイトの私から見て、豆塚エリが姿を消したのは本当に突然のことだった。豆塚エリ自身も、それまで積み重なってきた辛さの結果ではあるものの、「自殺」という選択肢自体は唐突に浮かんだものであったようだ。
どうしようか。でも、学校には行きたくない。他に行くところもない。頼れる人も知らない。そう思って、ある考えが浮かんだ。そうだ、死ねばいいんだ。死ぬしかない。
今死ななくていつ死ぬ?
突然答えが出た。ひらめきがあった。何もかもがわかった気がした。そうだ、今日だ。私が待ち望んでいた日。今までのことがすべて伏線だったかのようだ。この日のためだったのだ、今までのことは。今日死ぬために、今までがあった。間違いない。しっくりきた。
(「しにたい気持ちが消えるまで」(豆塚エリ/株式会社三栄)p117より引用)
小さな苦しみ(彼女の身に起こっていたことは決して「小さい」とは言えないが)がいくつもいくつも降り積もり、些細な出来事が引き金となって「自殺」いう結論に至る。自分を含め、誰にでも起こりうることだし、その衝動を他人が止めることもきわめて難しいと思う。仮に普段から「死にたい」とぼやく人に対して、親しい人が言葉を尽くして引き止めたとしても、結局は本人の選択だ。実際、豆塚エリも自殺の前日に当時の恋人からこんなことを言われている。
あるとき、「君、飛び降りる前の日に死にたいって言ってたんだよ」と恋人から言われて、たしかにそんなことを言った気がした。そのとき、死なないで、って言ってくれたのに。飛び降りるとき、思い出しもしなかった。
(「しにたい気持ちが消えるまで」(豆塚エリ/株式会社三栄)p155より引用)
「生」のための言葉を届けたい
ただ、「死」という選択が衝動的であるように、「生」への希望も小さなきっかけから得られるのではないかと思っている。周りから押し付けられる言葉が響かなくても、本人が自らの意思で手に取った「生」に向かう言葉は、心に響くのではないだろうか。
豆塚エリと私が学生だった16年前と比べて、SNSが普及し、誰でも手軽に情報を得たり、感情を共有したりすることができるようになった。よい側面ばかりではないが、世界中のいろいろな人の「言葉」をいつでも受け取れて、自分の「言葉」も吐き出せるようになった今、この場を使って「生」への言葉を発信しない手はない。そうして豆塚エリが生み出したのが、「Arica」というメディアサイトだ。
「死」の選択は衝動的だが、それは「生」への希望も同じで、小さな言葉が誰かを救うきっかけになると信じている。豆塚エリの自殺と「しにたい気持ちが消えるまで」を通して”無関心”ではいられなくなった自分も、この「Arica」を通じて、彼女と共に、誰かの心に寄り添う「生」への言葉を届けていきたい。