私は自分の仕事のコンセプトを「にじいろの魔法」と呼んでいる。
土砂降りの雨の後に虹が架かるように、辛い時期を経て、今イラストレーターとして働いている。統合失調症という病気を抱えながら、1日6時間、自分のペースで仕事をする日々。それは決して楽ではないけれど、自分に合った生き方だと思っている。
絵との関係は、私の人生とともに変わってきた。発症前、発症後、そして今。絵が私を救ってくれた、と言っても過言ではない。
発症前:絵は、居場所だった
両親は不仲で、ほぼ毎日のように喧嘩をしていた。父は「親の喧嘩は子どもに見せるべき」と言って、私たちを毎日喧嘩に巻き込んだ。今思えば、子どもの精神衛生上、まったく良くないことである。
私の下には妹と弟がいるが、仲は良くなかった。むしろ兄弟間の争いも増えていった。私は毎日、気が狂いそうだった。いや、すでに狂っていたのかもしれない。友達の家に逃げることで、なんとか正気を保っていた。門限がくると、いつも憂鬱な気持ちになった。
そんな中で、絵を描くことだけが私の安心できる時間だった。小さい頃から絵を描くのは好きだった。好きな漫画やゲームの模写を描いて友達に見せては、優越感に浸っていた。勉強もスポーツもイマイチだった私にとって、同級生に自慢できるものはイラストくらいだった。
当時の私にとって、絵は、家庭で溜まったモヤモヤをから逃げ出すのツールだった。描いている間は、家のことを忘れられた。友達に褒められると、自分が認められた気がした。絵だけが、私のアイデンティティだった。
発症後:描けなくなった絵、それでも

高校2年生の冬、私は幻聴と不眠に悩まされていた。東日本大震災が発生し、日本中がパニックになっていた頃だ。九州に住んでいた私に直接的な被害はなかったが、精神的なダメージは計り知れなかった。耐え切れず受診した病院で、「統合失調症です」と告げられた。
統合失調症を発症した後、絵の意味が変わっていった。
それまで絵は、家庭の重苦しさから逃れるための場所だった。でも発症後は、自分の内側にある言葉にならない感情を表現するためのツールになった。理解されない苦しみ、不安、混乱——それらを形にするために、私は絵を描いた。
しかし、病状の悪化によって頭の回転が悪くなり、だんだんと自分の中での「良い絵」が描けなくなっていた。以前のように褒められることもなく、自己肯定感が上がることもなかった。
それでも私は描き続けた。これが無くなったら、私の存在意義が無くなると思った。「良い絵」が描けないと思うことはあっても、描きたいと思う気持ちは薄れなかった。うまくなりたかった。絵を描くこと以外に、自分を表現する方法を知らなかったから。
高校卒業後、私はアルバイトを転々とした。コンビニ、旅館のふとん敷き、皿洗い、会計の仕事、パソコンの修理——色々な仕事を試した。でも、人とのコミュニケーションが難しかった。ボタンの掛け違いのようなすれ違いが起きて、続かなかった。
それでも絵だけは、描き続けていた。
その頃から私は、闘病中の苦しみや理解されない辛さを「土砂降りの雨」と呼ぶようになった。そして、人に助けられたり、自分という存在が肯定されたりしたときの気持ちを、「晴れて虹が架かる」と表現した。統合失調症が寛解したとき、”にじいろ”は、私の自己表現になり、救いとなった。
現在:必要とされる絵を描く

2021年、私はイラストレーターとして本格的に活動を始めた。発症から約10年が経っていた。
最初の仕事は、セミナーでのお絵描き教室のようなイベントだった。その後、個展を開いたり、企業から依頼が来るようになったりして、「これでいけるかも」と思えるようになった。
現在、私はB型作業所に通っている。B型作業所とは、障害のある人が自分のペースで働ける福祉サービスの場だ。私はそこで記事を書いたり、動画編集をしたりしている。10時から15時まで(昼休憩1時間を含めて実働4時間)、夜は2時間をイラストの時間に充てる。1日6時間ほど働いている計算だ。
朝起きるのが苦手な私にとって、作業所は生活リズムを整える場所でもある。日常の困りごとを相談できるのも助かっている。今は、多くの人たちに支えられながら、寛解を維持している。
イラストレーターとして仕事をするようになって、絵の意味はまた変わった。
発症前、絵は自分のモヤモヤを吐き出し、承認を得るためのものだった。発症後は、自己表現のツールだった。そして今、絵は「誰かの役に立つもの」になった。
クライアントが私のイラストを必要としてくれる。それだけで、とても嬉しい。イラストを見て喜んでくれる人がいる。「ありがとう」と言ってもらえる。仕事を受けたところから、いろいろなご縁が広がっていくのを見ると、なんだか嬉しくて、やってよかったと思う。それが、生きていく支えになっている。
もちろん、絵は食べていくための道具でもある。でも同時に、人との繋がりを作ってくれるものでもある。喜んでもらうために描く。そう思えるようになったのは、大きな変化だった。
クライアントとのやりとりでは、わからないことがあればこまめに連絡するよう心がけている。誠実で丁寧な対応を続けることで、少しずつ信頼を得てきた。
とはいえ、寛解したからといって、調子が悪い日がなくなったわけではない。そんなときは、人と遊んだり話したり、美味しいものを食べたり、睡眠を長めにとったりして調整する。よく食べ、よく寝て、よく遊ぶ。それを心がけている。今の私は、症状と戦っているというよりも、共存している。
終わりに
病気やスランプがあっても絵を描き続けられたのは、いろんな人たちのご縁が幸せの「にじいろの魔法」をかけてくれたからだ。そんな魔法を私も次の人に繋げたいと日々描いている。
統合失調症は「一生治らない」と言われることもある。しかし、向き合い方次第で寛解できる病気だと、10年近く付き合ってきた私は思う。
完全に健康な人と同じようには働けないかもしれない。でも、自分に合った働き方を見つければ、ちゃんと仕事はできる。辛い土砂降りの雨も、いつかは晴れて虹が架かる。
障害はあるけれど、私は今日も、自分らしく暮らしている。絵が、私を救ってくれた。これからも絵を通して、偏見や生きづらさを少しでも解消していきたい。


