ある夜、新宿のAirbnbで
「みんなでZINEを作ろう!」
そう盛り上がったのは、2021年の夏。福祉現場に身を置いている仲間たちで飲んでいたときだ。場所は確か、新宿で借りた安いAirbnbだった。
ZINEとは、個人や少人数で自主的に制作・発行する小冊子のこと。雑誌を意味するmagazineの後半部分zineが語源。リトルプレスとか、自費出版とか言われることもあるけれど、いずれにしても形式や内容を自由に決めながら、出版社を介さず自費で出版する冊子のことだ。
そして勢いのまま、飲みながら新しく作るZINEのタイトル決めが始まった。赤いサインペンを取り出して、白いコピー用紙にキュキュッと音を立てて、いろんなキーワードを走り書きする。福祉、生きづらさ、ソーシャルワーク、支援……
福祉に携わることをテーマにしたZINEなのだから、「福祉」というキーワードを匂わせる必要はある。でも、あまり重たい印象のものは嫌だ。最近は「~~ラボ」「~~ハブ」とか色んな横文字も流行ってるけど、既視感があるネーミングは避けたいし、少し遊びを持たせたい。そんなことをワイワイ話しながら、言葉を探る時間。その時、言葉がひらめいた。
「『潜福』ってどう? 福祉に潜る、と書いて、潜福(せんぷく)!」
「え、いいかも。ちょっとダサ可愛い笑」
「漢字って逆に新しいね。ぷく、ってのもポップでいい!」
酔っぱらっていたので、記憶半分の創作になっているかもしれないが、そんな風にして即興的にタイトルが決まり、ZINE「潜福」は産声を上げた。
「潜福(せんぷく)」とは?
「潜福」は全国の福祉の多様なフィールドに潜りこんだメンバーで、エッセイを寄せ合い、福祉に携わる意味や価値を表現・発信する冊子だ。2022年に第1弾「もぐる」を刊行して以降、毎年一冊ずつ「もぐる」「逃げる」「おどる」などテーマを決めて刊行しながら、今年は第4弾まで辿り着いた。
メンバーが身を置いている福祉の現場は様々だ。高齢者をケアする施設、乳児院、知的障害のある人が暮らすグループホーム、ブラジル人学校、ホームレスや刑務所出所者を受け止める施設など。いわゆる「福祉施設」ではない場所も含まれる。どのエッセイも、それぞれの現場での体験をベースに、福祉の面白さや難しさを自由に語っている。
また今の時代、多くの人が気軽に電子書籍を利用し、まさにこの「Arica」のようなオンラインメディアが数多ある中でも、あえて紙での発行にこだわった。それは物理的な実体を持った冊子という存在が、リアルな出会いを繋ぐ触媒になってくれるのでは、という思いがあったからだ。
スマホでの「ながら読み」というよりは、落ち着いた時間や空間を確保してもらったうえで、1つ1つのエッセイをじっくり読んでほしいという気持ちもあったかもしれない。
一人称で語るということ
そんな潜福が大事にしていることの一つは、「一人称で書く」ということ。「自分自身が何を見て、体験し、どう感じ、考えたのか」について、自分を主語に表現・発信しよう、ということだ。何かを語る時も第三者的な立場から訳知り顔で論評するのではなく、主観的な体験・感情に根差しながら、批判を恐れずに文章を綴ることを意味している。
福祉の仕事をしている人が何かを語る時、どうしても「支援者」という立場・肩書からの言葉になりがちだ。また、福祉サービスを取り巻く業務・制度といったものを拠り所に何かを語ることも多い。
それ自体は全く否定されるべきものではないが、一方でそういった文脈から距離をとって自分自身の感情や、福祉の現場の面白さや難しさを率直に語る場や機会は意外にも少ない。だからこそ、そういう場を作ろう、ということだ。
結果的には、いわゆる”支援者”として働いている人だけでなく、サービスを利用する側に身を置いている”当事者”や、福祉の現場でアルバイトをする学生など様々な立場の人を巻き込みながら、その都度集まった執筆メンバーがエッセイを寄せてきた。
「福祉」という海でつながる
第一弾「もぐる」のリード文にはこうある。
「福祉」はこの社会の至る所にある。
でも巧妙に隠されてしまっていて、意識せずに暮らすことも出来てしまう。潜んで(ひそんで)いて、見えない。なんだか、おかしい。
それでも、確かにある。マンションの一室に、街中のアトリエに、あそこの高齢者施設に。
そんな場所で働くことや生きること。目を閉じ、鼻をつまみ、ジャプンと飛び込む。初めは、息を止めて目をつむる。少し慣れて、目を開ける。何かが見える。あれはなんだろう。
潜った先で見えた風景、沸き上がった感情を、支援や業務といった場所から少し離れて自由に語ってみたい。現場で見えた「あの感じ」を掬い上げよう。
その言葉は、飛び込みたいけど勇気が出ない、飛び込んだけど苦しくて窒息しそうだ、そんな人にも届くかもしれない。
そんな想いを込めて編んだ「潜福(せんぷく)」。
潜福、というタイトル自体は勢いで決まったものだが、それぞれが潜る現場やフィールドは違っても、福祉という「海」はどこかでつながっている。その「海」に潜った仲間同士で、水中のぼやけた視界の中に見えた景色を語り合おう。そんな思いも込めたタイトルだ。
全国からの応援と反響
当初は、「売れるか分からないし、思い出作りのつもりでやろう」と少し弱気なスタートで、初版も500部。
しかし思い切ってリリースしてみると、予想以上の反響だった。「ぜひ職員にも読ませたい」という全国の福祉業界の経営者たちの応援の気持ちも込めた数十冊~百冊単位での一括購入もあり、500部はあっという間になくなってしまったのだ。急遽、第1弾は2000部を増刷し、その後は毎号2000部を印刷している。第2弾、第3弾と刊行を続けていくうちに、新聞やテレビなどのメディアも取り上げてくれたことで、徐々に知ってくれる人が増え、今では1週間に数件の注文が届くような状態だ。 と、ここまで雑多に「潜福」のことを紹介してきたが、一旦前編はここまで。中編・後編と続けて、「一人称で語る」ことの意味や、一冊の本を作って売るまでのプロセスなんかも、紹介していければと思う。