17歳で統合失調症を発症した頃、私は、他人に頼ることに抵抗があった。
障害を抱えたことで、周りから冷たい目で見られるのではないか。友人や家族に見放されてしまうのではないか。そんな思いにとらわれることがあった。しかし、後ろ向きだった私を変えてくれたのは、これまで出会ってきたさまざまな人たちだった。私のことを信じ、支えてくれる人が、たくさんいた。そして、彼らの優しさを素直な気持ちで受け止め、頼ることができるようになった今、統合失調症は寛解している状態だ。
どんな関わり方で、どんな風に変わっていったか、振り返っていきたい。
母という存在
統合失調症の発症後、19歳の頃に、なかなか快方に向かわない私は、主治医に相談して任意入院という形で精神科病棟に入院した。
精神科病棟は、厳しい場所だった。病院の外に出るのにも手続きが必要で、カッターなどの刃物は厳禁。私物の管理も厳しく制限されていた。面会以外の時間は、病棟の中で過ごした。デイルームでぼんやりテレビを見たり、廊下を歩いたり、ベッドで横になったり。決まった時間に食事をして、決まった時間に薬を飲んで、決まった時間に消灯する。同じ景色、同じ音、同じ日々の繰り返し。時間の感覚が曖昧になっていく。外の世界とは切り離されたような、そんな閉塞感に包まれていた。
そんな中、毎週のように面会に来てくれたのは母だった。面会室で他愛もない話をする。今日の天気のこと、近所で咲いていた花のこと。何も特別なことは話さない。
でも、その時間があったから、私は「外の世界」とつながっていられた気がする。母が持ってきてくれる外の空気、季節の移り変わり、日常の小さな出来事。それが、閉ざされた世界の中で、私を支えてくれていた。私のことを信じ、寄り添ってくれた母には、感謝の気持ちでいっぱいだ。
デイケアの先生たち
退院後、デイケアに通い始めた。料理や茶道、時にパソコンでタイピングの練習などを通して、コミュニケーションと生活習慣を取り戻す場所だ。
正直、初めはめんどくさかった。何度も「今日は休もうかな」と思った。でも、スタッフの先生たちは、そんな私を親身に受け止めてくれた。話を聞いてくれて、プログラムに参加できない時も、決して私を責めず「少しずつでいいから、出ておいで」と促してくれた。
私のイラストについても、肯定してくれた。ある先生が言ってくれた言葉が、今でも心に残っている。
「イラストはいつか花が咲くから続けていきなさい」
自分の未来を信じてくれる人がいることが、とても嬉しかった。自分が自分を信じられなくても、誰かが信じてくれていれば、前に進む力が湧いてくる。冷たかった心に少しずつ陽が差した、そんな気がした。
主治医との対話
月に一度の主治医との診察は、いわば「棚卸し」の時間だ。
この一ヶ月、どんなことがあったか。どんな気持ちで過ごしたか。何が辛くて、何が嬉しかったか。主治医の先生は3回ほど変わったが、どの先生もしっかりと向き合ってくれた。
「あなたは頑張りやさんだからね」
そう言われても、初めはあんまりピンときていなかった。でも、先生がそう言うならそうなのだろう。自分では「まだ足りない」と思っていたのに、周りから見れば「頑張りすぎ」だったのだ。先生との対話を重ねる中で、自分を客観的に見る力が少しずつ育っていった。
薬の調整については、過去に別の病院でトラブルがあったことを伝えて、漢方薬や心理療法での治療に切り替えるなどの対応もしてもらった。少しずつ前に進んでいる実感があった。
発症当初は毎日通院していたが、今は月1回ペースまで落ち着いている。
相談支援員さんとの出会い
「困ったことがあったら、いつでも連絡してくださいね」
相談支援員さんは、そう言って自分の連絡先を渡してくれた。とはいえ、本当に連絡していいものか、初めは戸惑った。
役所の手続きがわからないとき。体調が悪くて作業所を休みがちになったとき。将来が不安で眠れなくなったとき。「こんな小さなこと」「こんな個人的なこと」と思い、なかなか連絡できなかった。
でも、勇気を出して相談してみると、一緒に考えてくれた。手続きのサポート、作業所との調整、これからの選択肢の整理。一つずつ丁寧に、私のペースに合わせて、解決への道筋を示してくれた。
相談支援員さんは、私と社会をつなぐ橋のような存在だった。就労移行支援等の事業所探しのときにも、特徴をわかりやすく説明してくれて、見学にも同行してくれた。一人ではできないことばかりだったが、相談支援員さんの手を借りて、少しずつ前に進むことができた。
「一人で抱え込まないでくださいね」
その言葉を聞いて、初めて「頼ってもいいんだ」と思えた。頼ることは、弱さではない。一緒に考えてもらうことだと気づいた。
作業所での日々
そうして通い始めた就労移行支援の作業所では、スタッフの方々は私の「できないこと」ではなく「できること」に目を向けてくれた。
パソコンが少し得意だと伝えたら、、最初は簡単な入力作業から始めて、徐々に作業の難易度を上げていった。気づけば資料作成まで任されるようになっていた。失敗したときも、「次はこうしてみましょう」と建設的なアドバイスをくれた。失敗を責めるのではなく、成長の機会として捉えてくれる。その安心感の中で、挑戦する勇気が湧いてきた。
スタッフの方たちは、私の「できる」を信じてくれていた。その信頼が、自分自身を信じる力になった。
クライアントさんとのご縁
フリーランスとして仕事を始めてから、何人ものクライアントさんと出会った。
私が精神疾患を抱えていることを知っていても、変わらず仕事を依頼してくれる人。「無理のないペースで進めてくださいね」と、配慮の言葉をかけてくれる人。
納期の調整が必要になったとき、「体調が第一ですから」と快く対応してくれた人。
どの人も、細やかに配慮してくれながらも、社会人として私の仕事を信じてくれている。その関係が、自分に自信を与えてくれた。
仕事を通じて、「病気があっても、価値を提供できる」という実感を得た。それは、自分の存在意義を確認する作業でもあった。
大切な人たちへの告白
病気のことを打ち明けるのは、とても勇気がいることだった。
まずは友人たち。障害のことを知って自分から離れていくかもしれない、という不安があったが、みんな自然と受け入れてくれた。
「一緒にいてお互い心地いいのは変わらない。それで十分じゃない?」
病気があっても、対等に接してくれる。その何気ない時間が、どれだけ貴重か。
体調の波がある中でイラストを描き続けていたことも、「あんたには才能があるよ」と認めてくれた。彼らの存在は、今でも大きな支えになっている。
そして、夫のこと。

統合失調症であることを打ち明けたのは、付き合いだして3ヶ月経った頃だった。泣きながら話す私のことを、彼はまっすぐに受け止めてくれた。
「今の世の中、完全な人の方が少ないよ。あなたは病気がある中で頑張ってるから、それだけで十分だと思う」
友人も、夫も、私の弱さを受け入れてくれた。
彼らの優しさを受け止め、素直に自分をさらけ出すことで、心が通い合った実感があった。
「支えられること」の意味

たくさんの人たちに支えられて、私は今ここにいる。
支えてくれた人たちに共通していたのは、信じてくれたことだ。できないことではなく、できることに目を向けてくれた。私の可能性を、私自身よりも信じてくれていたように思う。
そして「頼ること」への考えも変わった。頼るのは、よっかかることではない。自分で立つにはどうしたらいいかを、一緒に考えてもらうことだ。一人では見えなかった道を、誰かと一緒なら見つけられる。
その中で気づいたのが、人と関わる上での「素直さ」の大切さだった。助けを受け入れること。自分の弱さを認めること。間違いを正してもらうこと。素直でいることで、初めて人とつながれる。そして、つながることで、支えられる。
今でも、心身の波はある。それでも、いろんな人が支えてくれているという心強さがある。みんながそれぞれ頑張っているし、私も頑張ろうと思える、自分の原動力にもなっている。
もしあなたが今、一人で抱え込んでいるなら。
信じてくれる人がいること。
頼ってもいいということ。
素直になることの大切さ。
この3つを、心の片隅に置いてほしい。
誰かに導いてもらいつつ、自分の道を切り開いていくこと。それもまた寛解につながる糸口になるだろう。


