こころ

自分を愛せない夜に届いてほしい… 複雑性PTSD当事者が見つけた「私の赦し方」

「自分を愛そう」なんて簡単に言うな。かつての私は、よくそう憤っていた。唯一、心が落ち着く居場所である書店でそんな言葉を見ると、吐き気がした。

常に自分の意見を押し付けて怒りをぶつけてくる父と過干渉な母のもとで育った私はずっと自分の気持ちが行方不明で、自己卑下が当たり前。自己受容なんて一生、分からない感覚だと思っていた。

だが、自分の生きづらさには「複雑性PTSD」という精神障害が関係していることを知り、カウンセリングを受ける中で、少しずつ自分の愛し方が見えてきた。自分を愛すには、まず「自分を赦すこと」が大切なのかもしれない。

「笑いたくない」のSOSを無視しないで

「自分を赦す」なんて、いまいちピンとこないかもしれないが、気づいていないだけで日常の中では、“自分に赦されたがっている私”が顔を出すことがある。

例えば、傷ついたことを親しい人に話す時、あなたはどんな表情を浮かべるだろうか。私はニコニコ笑っていた。カウンセラーに「死にたいくらいしんどかった」と近況報告する時も。

「感情」と「表情」が一致していない。そう気づいた時、ゾっとした。なぜ、辛い話をする時に笑ってしまうのか。その答えは、幼少期にあった。子どもの頃、私が泣くと父は怒った。母は父を責め始め、家の雰囲気は最悪になった。

自分さえ笑っていたら平和。そう学んだ私は様々な感情を笑いでごまかし、「処理」するようになったのだ。

そんな原点を思い出したことから、私は少し極端なルールを課して日常を過ごしてみた。「笑いたい時以外は絶対に笑わない」と心に誓ったのだ。すると、思わぬ変化が起きる。何かをする前に「えい!」と力む感覚が薄れ、口から出る言葉に感情が乗っている気がしたのだ。

表に出しにくい感情を笑って流す時、心は想像以上に無理をしている。そう知ることは、自分に打つ鞭を緩めるきっかけにもなるはずだ。

「褒め日記」が書けない自分も蔑まないで

自己肯定感を高めたくて、「褒め日記」に取り組んだことがある人は意外に多いのではないだろうか。私もそうだった。自己卑下の日常を少しでも変えたかった。

でも、いざ褒め日記を前にすると愕然とした。褒めたい自分が、どこにもいない。「朝起きただけで偉いよ」と、空っぽの心で思うだけ。思ってもいない褒め言葉を並べ、嘘の日記が出来上がっていった。

そんな時、刺さったのがカウンセラーの言葉。なにげなく、褒め日記を書いていると話した時、「褒めたいと思える自分でなくてもいいし、褒めるところがないと思うのもダメじゃないからね」と言ってくれた。

私は、無意識に優等生を演じる癖がある。誰かから褒められ、認められないと価値がないように思えてしまう。正直、その癖は今もなくなっていないけれど、「承認される自分だけに価値がある」という考え方は少し変わってきた。

24時間365日、いい人でいられない泥臭さがあるから私たちは人間なのだ。褒められない日だって、あって当然。それでも今日という日をなんとか生き延びることができたのなら、自分にカラフルな花丸をあげたい。

なかったことにしていい感情なんてない

私は怒りを出すのが苦手だ。心理検査では、怒ってもいい状況下なのに怒りを自分にも他人にも向けず、なかったことにする心の癖があると指摘された。

怒りたいほどゆずれない意思がない。興味や関心が全く違う人にでも合わせられるほどに自分もない。人間というよりも、変幻自在な“物体”みたいだった。

だからこそ、今カウンセリングで取り組んでいるのが、自分のどんな感情も受け止めることだ。これはなかなか難しく、怒りや憎悪、嫉妬など過去に「処理」してきた感情ほど、ないものとして扱いたくなる。

でも、「処理」せずに向き合ってみると、意外な本音を知る。例えば、父が嫌いという感情。突き詰めた時に出てきたのは「なぜ私を見てくれないの」という悲しみだった。

父は、透明の壁がある人だ。幼い私がくっつくと、不機嫌と困惑が混ざった顔で遠ざかった。それなのに、持病がある私を特別扱いし、姉と区別した。小さな私は自分を責め、父を憎むようになった。いつしか、父は“早くいなくなってほしい人No.1”になった。

だが、カウンセリングを受ける中で父への本音に気づく。こぼれ落ちたのは「抱きしめてほしかった」「愛してほしい」という涙だった。怒りの裏には、こんなにも大きな愛があった。そう知れた時、私は嫌いだった“自分の怒り”が少しだけかわいく思えた。

どんな“私”にも意味があると気づくことが自分を赦す1歩に

ネガティブな感情は「抑えるべき」とされやすいが、心の中で処理していい感情なんてひとつもない。嫉妬も憎悪も怒りも悲しみもすべて、自分を構築する大切なものだ。

それに、処理した感情はいずれ、どこかのタイミングで向き合わねばならない時が来るようにできているのだと私は思う。

自分を愛することは難しいが、心にある感情はどれも大切なものだと気づくだけでも自分自身の受け止め方は変わる。自分を好きにはなれなくても「嫌い」という烙印で自身を痛めつけないよう、自分に合った「私の赦し方」を見つけてほしい。

ABOUT ME
単心室・単心房の先天性心疾患者。フリーライターとして、大手出版社のウェブメディアで生きづらさ・障害に着目した取材記事を執筆中。モットーは、できるかぎりそのままの温度で取材対象者の心を伝えること。私生活では猫の下僕。